幸も不幸も
ここの所、色んな事が一気に押し寄せてくる。両親の病気が重くなったり祖母の死や人間関係のあれやこれやで、不幸祭りが始まったのである。
私は、ちょっとの事では驚かない。そういう耐性がついたのか慣れたのかはわからないが、人から見れば不幸だと思われることも、無効化は無理だとしても7割減位で感じることが可能だ。とはいえ、他人から見た私の人生はついてない人生に見えるであろう。
不幸耐性があるとはいえ、人生幸福がいいに決まっている。
だが光の中に光をさしても全くわからないように、幸福過ぎれば幸福に感じなくなる。
逆に暗闇に光を照らせば、まばゆいほどに明るく見える。不幸あっての幸福なのだ。
だから丁度いいあんばいで、幸福と不幸が散りばめられているのが人生だとすれば、私にはとてつもない幸福が待っているはずだとか思っている。
そして幸福とは他人が決める事ではなく、自分が決める事なのである。
例えば、私の人生で大きな幸福?ラッキーな出来事は、息子が統合失調症でいろいろあったが生きていてくれたことだ。後は、主人が上咽頭癌で危うく死ぬところだったが、抗がん剤と放射線治療で何とか癌克服したことだ。他人から見ると、息子が統合失調症で旦那様が癌患者、不幸のサンドイッチのように思われそうである。しかし息子は生きて、今は楽しく働いているし、旦那様は死なずに済んだ。そう考えれば、私はラッキーばばあなのかもしれない。
ものは考えようで視点を変えれば、見え方は変わるのだ。
有名な映画のセリフに「人生はチョコレートの箱のようなもの」(映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』)と言うのがある。
人生はチョコレートの箱と同じで、開けてみなければ、食べて(味わって)みなければわからないという事だ。
また、私の好きな映画『アメリ』(2001年/フランス/監督:ジャン=ピエール・ジュネ)に出てくる言葉に「人生は果てしなく書き直す未完の小説だ」とある。失敗しても、不幸でも何度も書き直せばいいのだ。生きてる限り時間はある。
いつも映画ブログを書いているが、映画なんて観なくても生きてはいけるけど、映画に救われることもあったりする。
私の人生を豊かにしてくれるのだ。
明日、大好きな人たちが笑っていられますように。
お休みの一曲。
羊毛とおはな/perfect
元々の曲はFairground Attraction(フェアーグラウンド・アトラクション)の曲である。↓
なんだかちょっとだけ元気にしてくれる。
お休みなさい。
生きる事と生かされる事
ブログを更新するのは久々である。
つい少し前に祖母が他界した。
92まで生きたのだから、大往生である。
葬式は孫の祭りと言う言葉があるが、嘘っぱちもいいところだ。
私の父母共に、現在精神病院に入院中である。
となると孫である私が喪主になる。
田舎の葬式は、色々としきたりもあって面倒極まりない。
親戚を不愉快にさせながらも、何とか全てを終わらせられた。
その日は、火葬場まで行く霊柩車の窓から大きな雲が流れて行くのをぼんやり見ていた記憶しか残っていない。
悲しい気持ちなんてなくて、むしろ清々しかった。
私の心は、窓から見える大きな雲の上あたりにあって、鼻歌なんぞ歌ってみたりしていた。
亡くなる前祖母は、体に管ばっかくっつけられ、まるで『老人Z』みたくなっていたもんだから、あーこれで自由になったのだなと思った。
この歳になると人が死んでいく。
人は死からは逃れられない。
私もいつか死ぬ。これだけはわかっているのに、いつかはわからない。
祖母みたいに、本人は望んでいないかもしれないのに、何十年と意思の疎通もできぬまま生かされ続けることを、なんと捉えればいいのだろう。
一本の映画を思い浮かべる。
とっても美しくて悲しい映画である。
『愛、アムール』(2013年/フランス・ドイツ・オーストリア/監督:ミヒャエル・ハネケ)
ハネケ映画は、大体ろくなことにはならないか、非常にしんどいのである。
老夫婦の愛と、尊厳がテーマになっているが、他人ごとではない。
老々介護は、日本でも社会問題となっている。
この先超高齢社会を迎え、寿命だけはガンガン延ばされているのに、健康寿命は延びていない。
「生きている」ことと、ただ「生かされている」こととはまた別の話なのである。
私には家族がいる。どんなに好きでも、好きなだけでは介護はできない。
けれど日本では、自由に死ぬことは許されてはいない。どんなに私がボケて自分を失っても生かされ続けるのである。
それを生きていると捉えるか捉えないかは、人それぞれである。
私の父はつい先日、大学病院でゆっくり筋力が落ちていくパーキンソン病の一種である難病だと言うことが分かった。
すでに食べ物を飲み込む力が弱くなっており、離乳食の様な食事をしている。ほんの数年前までは、自由気ままに遊びまくっていた人なのに。
もしもの時は、緩やかだが確実に近づいている。
思えば父親は心底ろくでなしのダメ人間だったなぁ。
でも嫌いじゃないから、色んな事が割り切れない。
私は父親に遊びに連れて行ってもらった事なんてほとんどない。
けれどたまーにどこかに連れて行ってくれた。
父は車の中でよく音楽をかけていた。子供だった私は、後部座席で寝転んで父が鼻歌交じりに『JOANNNA』を歌っているのを聞いていた。
今夜は父がよく聞いていた曲をお休み前に。
『JOANNA』杉山清貴&オメガトライブ
もう一曲は何となく、夜聴きたくなる曲
良い夢を。
終戦記念日と映画『野火』
8月15日は終戦記念日である。
終戦記念日によくテレビで流れていたのが『火垂るの墓』(1988年/監督:高畑勲)だった。
辛くて辛くて観るのがしんどい映画である。
私にとって更にしんどいアニメ映画が『はだしのゲン』(1983年/監督:真崎守)であった。
2016年のアニメ映画『この世界の片隅で』(監督:片淵須直)は戦時中、日常を生きている人々のひた向きさや強さに心打たれた素晴らしい映画だった。
『ひめゆりの塔』(1995年のリメイク版/監督:神山征二郎)、『日本の一番長い日』(1967年/監督:岡本喜八)、『戦場のメリークリスマス』(1983年日本公開/監督:大島渚)など、第二次世界大戦がテーマとなっている映画で、好きな映画はいくつかあるが、個人的に大好きな戦争映画が『野火』(2014年/監督:塚本晋也)である。
元々塚本監督が大好きだと言うのもあるが、映画自体は非常に惨たらしい。
それとは対照的に、広がるフィリピンの風景は、毒々しい程鮮やかで美しいのだ。
この映画は、人肉を食べると言うショッキングな出来事が起こる。
しかし、極限の状態の中で生きる為である。
この映画を観ていると、戦争の無意味さを思い知らされる。そこには勝者も敗者もない。あるのは転がる無残な死体だけだ。
この映画は大岡昇平の小説が元になっており、1959年に市川崑監督により映画化されている。しかし本作はリメイクではなく、塚本監督が20年の構想を費やし制作した映画である。
監督・脚本・制作・編集・撮影・主演を務めた塚本晋也は凄いけれど、この映画に登場する永松(演:森優作)のとあるシーンは、鳥肌が立つほど怖かった・・・。夢に出てきそうなほど恐ろしかった。
残酷描写は多々あるが、今を生きる子供に観てほしい映画である。
私は戦争を知らない。
平和に毎日を暮らし、食べ物に困ることもない。
しかし、明日の事は分らない。迫っている危機に気づかない(気づかないふり)で生きている。
自分が恵まれている事にも気が付かず、平和である事にも感謝しない。
当たり前な毎日が、当たり前に来ると思っている。
ゴジラ映画をたまに見て思うことがある。人間はゴジラを倒そうと必死になるが、そもそもゴジラを生み出したのは誰かと言うことだ。
いつかツケは回ってくるのである。
平和な一日でありますように。
お休みの2曲。
O.P.KING『ミサイル畑で雇われて』
真心ブラザーズ『人間はもう終わりだ』
眠れぬ夜、孤独を感じると観たくなる映画『息もできない』
たまに孤独を感じることがある。
愛犬がいて、旦那様もいて、成人した子供もいる。
友人は少ないが、心から信頼できる友人もいる。
とっても幸せなことだと思う。
しかし孤独と言うものは、誰と居ようが大勢と居ようが感じることがあるのだ。
よくわからない涙がこぼれることもある。そんな時は一人でこっそり泣く。
私は映画『武器人間』に出てくるモスキートより戦闘能力が低い。弱いのだ。
けれど強いフリをする。
要は泣かないのである。鉄仮面を被っている。
2代目麻宮サキ(演:南野陽子)が被っている鉄仮面を心の私は被って、ヨーヨーを振り回しているのである。
仮面の中ではグズグズ泣いているが、決して人には見せない。
映画『酔いどれ詩人になるまえに』の主人公チナスキーのように孤独を贈り物だと思えるような人間に生まれたかった。
孤独と言えば、孤独を抱えた二つの魂を描いた映画『息もできない』(
2008年/監督:ヤン・イクチュン)は最高の映画である。
心に傷を抱える女子高生ヨニと、父親への憎悪を募らせ社会の底辺で生きてきた取り立て屋のサンフンの奇妙な関係を時にはコミカルに、時には切なく描いている。
この映画は、私にとって特別な映画でもある。
サンフンを演じたヤン・イクチュンの、暴力でしか人と繋がれない訳と、ヨニにだけ見せる涙がぐっとくる。
サンフンがよく口にする言葉「シバラマ」は、糞野郎を意味しており、サンフンは暴力や口汚い言葉でしか自分を表現できない。
私は「糞野郎」とは言わないし暴力は振るわないが、口下手で自分の気持ちを表現するのが下手なので、サンフンを見ていると息苦しくなる。
ところでこの映画、製作、監督、脚本、編集、主演をヤン・イクチュンが務め、自分の家を売って映画を作ったというエピソードにはびっくりだったが、つい最近ブログで書いた映画『嘆きのピエタ』もそうだが、素晴らしい映画を作るのにお金は関係ないのだと改めて思う。
何故この映画を思い出したかと言えば、この映画で歩く暴力の様なサンフンが、ヨニの前でだけ泣いてしまうシーンがある。そして勝ち気で涙を見せないヨニもサンフンの前でだけ涙を流してしまうのだ。彼らは互いに何で泣いているのかはわかっていない。ただ寄り添って泣いている。
私は先日、友人2人と久々に遠出した。その帰りに運転していた友人が、「たまにだけれど涙が出る」と言った。急に寂しくなるのだというのだ。
彼女は数年前に離婚して、シングルマザーになった。
気持ちが不安定と言うのもあるのだろうけれど、思わず私も泣いてしまった。
私はこれまで自由気ままな父親のおかげで家庭崩壊したことも、息子の統合失調症のときも、精神科に母や父が入院しても泣かなかった。
しかし、これまで我慢していた事がこみ上げてきて、彼女と私は車内で号泣した。
涙の訳などどうでもよくて、サンフンとヨニのようにただ横にいてくれるだけで良かったのだ。
ただ、ばばあ二人の号泣は目も当てられない。
化粧は崩れ、化け物のようになる。
彼女が不安で泣いていませんようにといつも思いながら床に就く。
今日は寝る前に彼女を思いながら一曲聞いて眠りに就こう。
ハナレグミ 『きみはぼくのともだち』
ボーダーのお洋服にハットの紳士『エルム街の悪夢』シリーズ
子供の頃、テレビのゴールデン洋画劇場をみせてもらえるのは、子供にとっては深夜のパーティの如くワクワクしたものだった。
と言うのも我が家は、9時以降テレビを見せてもらえなかったのである(中学生まで)しかし、特別ルールがあって土曜日は9時以降も見れると言うもので、そこで初めてグリーン×レッドのボーダーのセーターにハット、鉄の爪という装いのオシャレ紳士に出会ったのである。その紳士が、映画『エルム街の悪夢』(1984年/アメリカ/監督:ウェス・グレイブン)のフレディ・クルーガー(演:ロバート・イングランド)である。
初期のフレディはまだお茶目ではなく、ただただ恐ろしい存在だった。高校生の夢にあらわれて夢の中で高校生を殺していく。夢の中で殺されると現実でも死んでしまうという話である。
最初の作品にジョニー・デップが出ている事は有名だが、ハリウッドスターは殺され方も派手である。
ベッドに吸い込まれたかと思ったら、大量血が噴水の如く吹き上がるのである。
これはスタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』のオマージュらしいが、子供には刺激が強いのである。
だが、2からフレディのお茶目な部分がチラリ。それ以降はもうお茶目さ全開なのである。
では、わたくしが独断と偏見で選ぶ、『エルム街の悪夢』シリーズ9作品の中から特に好きな作品3作品をご紹介。
まずは全9作品をご紹介(公開年は米国の公開年)
・『エルム街の悪夢』(1984年/監督:ウェス・グレイブン)
・『エルム街の悪夢2フレディの復讐』(1985年/監督:ジャック・ショルダー)
・『エルム街の悪夢3惨劇の館』(1987年/監督:チャック・ラッセル)
・『エルム街の悪夢4ザ・ドリームマスター最後の反撃』(1988年/監督:レニー・ハーリン)
・『エルム街の悪夢5ザ・ドリームチャイルド』(1989年/監督:スティーヴン・ホプキンス)
・『エルム街の悪夢ザ・ファイナルナイトメア』(1991年/監督:レイチェル・タラレイ)
・『エルム街の悪夢ザ・リアルナイトメア』(1994年/監督:ウエス・クレイヴン)
・フレディVSジェイソン(2003年/監督:ロニー・ユー)
・エルム街の悪夢(2010年/監督:サミュエル・ベイヤー)
①寝るのが怖くなる 『エルム街の悪夢』(1984年/監督:ウェス・グレイブン)
やっぱり最初が一番怖い!!
ナンシーが風呂場で寝てたら、湯船の中からフレディの爪が!!!のシーンが有名な第1作目。
主人公のナンシーの友人ティナは、フレディに殺された後、遺体袋の中に入ってご登場。そして口からムカデをべっろ~んと出すシーンは、ぞくぞくするほど美しいシーンである。
また、ジョニデの殺され方と、吹き出す血のシーンは圧巻。
シリーズの中でも、フレディが真面目に怖がらせているのも良い。
しかし怖いだけではないのが、この映画の素晴らしい所よ。
怖がらせたいのか、笑わせたいのか謎のおかん吸い込みシーンでは、どんな気持ちで見たらいいのかわからない程、おかんのマネキン感?空気人形感??ダッチな妻感???が否めない。
②めっちゃ楽しむフレディをご覧あれ『エルム街の悪夢4ザ・ドリームマスター最後の反撃』(1988年/監督:レニー・ハーリン)
続いては、アリスと言う夢をコントロールできる主人公が登場。
フレディも4ともなれば、慣れて来たのかフレディもはっちゃけまくる。グラサン姿のバカンス気分フレディにもお目に掛かれる。
殺され方も斬新で、ゴキブリにされた挙句、ゴキブリホイホイに入ってしまい、フレディにぐちゃっとされたり。
または、フレディの熱いキッスで、体内の空気吸い取られてポックリいってしまったり。
劇中、人面ミートボールが乗ったピザを爪で突き刺して食べると言う可愛いシーンもある。
③フレディのルーツ『エルム街の悪夢ザ・ファイナルナイトメア』(1991年/監督:レイチェル・タラレイ)
エルム街の6作品目で完結編となる今作では、フレディがなぜ殺人鬼になったのかが明かされる。しかも生きている時の素顔のフレディにも会える。
そして何より実の娘マギーとの対決も見られる。
フレディの爆発シーンは、爆笑ものでその胡散臭さが癖になる。
正直3匹の悪魔だか何だかが、爆発したフレディの中から飛び出すのだが、その悪魔の姿がまた・・・。
そういった何とも言えぬ胡散臭さがたまらん。
評価は『エルム街の悪夢4ザ・ドリームマスター最後の反撃』と『エルム街の悪夢ザ・ファイナルナイトメア』共にそんなに良くはない。しかしそれがなんだって言うのさ。あたいは好きなのさ。
誰かの最高は誰かの最低。
誰かの最低は誰かの最高なのである。
明日はお休み。
一杯やりたい事があってワクワクで眠れそうにないな。
では、夏の夜のドライブにもってこいの一曲を聞きながらお休みなさい。
Ellie『So I』
コロナ中に観た地獄の映画『ビバリウム』
ここ何週間か、コロナにやられていたのである。
未だに馬鹿は風邪を引かないと言う言葉を信じ、季節性インフルエンザと同等な扱いの5類になったことでの気の緩みも相まって、コロナに感染し地獄の苦しみを味わった。え?今更コロナ??まさに、今更ジローである。(わからない人は分らなくていい)
一応仕事は10日ほど休んだのだが、苦しいのは幸い5日程で後はまあまあ元気。これは映画みるっきゃ騎士(ナイト)である。
まだくらくらしていても、家事はせねばいかんのだ。苦しくともだれがしてくれようぞ。
我が愛犬は飯を食らい、散歩をして家で遊び、ゴロゴロするのが仕事である。
我が旦那様は、優しいしお手伝いをしてくれるが、尋常ではない程の家事下手なので逆にやることが増えるゴッドハンドを持ってやがる。
そして、職場の近くに部屋を借りているにも拘らず、家に帰ってご飯を食らおうとする(そして泊まる)娘も、父親の遺伝子を受け継ぎし『家事まるでダメ子』なのである。
娘に関しては、育てた私が悪いのである。
なので、家事がまだマシにこなせるのは、私しかいないのだ。
というわけで、家事は私がこなさなきゃならんので、ちょっとでも良くなるとちゃちゃっと家事を終わらせて、映画タイムである。
で、観た映画が『ビバリウム』(2019年/アイルランド・デンマーク・ベルギー/監督:ロルカン・フィネガン)
何故私は、体がしんどい時にしんどい映画を観てしまうのか。
この映画ジャンルはホラーだが、怖くはない。精神に来るのである。
インテリアや色味がこじゃれているのがなんだか気味わるい。
奇妙・奇怪・奇想天外。
面白いが、段々切なくなってくるのである。
異常にイラつかせる子供がでてくるが・・・。実は・・・。
ネタバレせずに書くのが難しいが、この映画は現代社会のメタファーでもあるような気もする。
精神的に病む映画を、まさに(肉体的に)病んでいる時に観るという暴挙。
ともあれ今は全快!!
さて今日も食事を作りながら口ずさむは、ザ・ハッピーズ。
歌でも歌ってなきゃ食事なんて作れるかーい。
『ハード・フォーク・ブルース』/ザ・ハッピーズ
映画『ぼくの伯父さん』と私の叔父さん
私はジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』(1958年/フランス/監督:ジャック・タチ)が大好きだ。
ユロ伯父さんは、間抜けでドジだけど、優しくて可愛い。
ユロ伯父さんを観ているだけでほっこり笑顔になる。
私には、叔父さんがいた。
若くして亡くなったが、よく人に馬鹿にされて笑われていた。
叔父さんは知的障害と、身体障害を持っていた。私が生まれた時から、私の家の隣に1人で住んでいた。
だから叔父さんの話し方が変でも、歩き方が変でもそれが当たり前だと思っていた。
私は小さい頃よく叔父さんをからかった。悪気などないのだ。小さな子供が大人にいたずらするのと同じだ。
私は叔父さんの歩き方がペンギンみたいだといってよく真似をした。
なんで走れないのか?なんでうまく話せないのか?と純粋な疑問をぶつけた。そうしたら母親に引くほど叱られた記憶がある。私は叱られた意味がさっぱり分からなかったし、「可哀想でしょ!」ってなんで言うのかも分からなかった。
叔父さんの事を可哀想だなんて一度も思ったことがないからである。
叔父さんは毎日ペンギン歩きでお仕事に行って、帰ったらよく音楽を聴いていた。
よく内緒で小遣いをくれた。
私の父親は飲む・打つ・買うのろくでなしで、ほとんど家にいない風来坊であった。ある意味『酔いどれ詩人になるまえに』のチナスキーみたいな男だ。
そして
母親は、心身共に病弱な妹につきっきりであった。
別に私は不幸な子であったと言いたいわけではない。結構楽しく暮らしていた。
叔父さんになわとびの二重飛びができる事を自慢げに見せに行き、小遣いをもらって駄菓子屋に行く。
誰でももらえる硬筆検定6級の賞状を見せに行き、スーパーでアイスを買ってもらったり。
今思えば意地汚い子供だが、悪い事をしているなんて思ったこともない。
高校生になったくらいから、叔父さんの言ってることが分からなくなった。
子供の頃は何を言ってるかちゃんと分っていたのに。
多分遊びや部活やで忙しくて、分からなくなったのではなく、聞く耳を持たなかったのかもしれない。
今でも後悔している。
私はもうずいぶん大きくなった。子供も大きくなった。
叔父さんはもう歳を取ることはない。
私はもうすぐ叔父さんの歳を抜かしてしまう。
もしもあの世があったら、私の事がわかるだろうか。
謝ったらちゃんと許してくれるだろうか。
もし会えるなら一緒に音楽でも聴きたいな。
お休みなさいの曲。
ケニー・バレル『ソウル・ラメント』