映画『ぼくの伯父さん』と私の叔父さん
私はジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』(1958年/フランス/監督:ジャック・タチ)が大好きだ。
ユロ伯父さんは、間抜けでドジだけど、優しくて可愛い。
ユロ伯父さんを観ているだけでほっこり笑顔になる。
私には、叔父さんがいた。
若くして亡くなったが、よく人に馬鹿にされて笑われていた。
叔父さんは知的障害と、身体障害を持っていた。私が生まれた時から、私の家の隣に1人で住んでいた。
だから叔父さんの話し方が変でも、歩き方が変でもそれが当たり前だと思っていた。
私は小さい頃よく叔父さんをからかった。悪気などないのだ。小さな子供が大人にいたずらするのと同じだ。
私は叔父さんの歩き方がペンギンみたいだといってよく真似をした。
なんで走れないのか?なんでうまく話せないのか?と純粋な疑問をぶつけた。そうしたら母親に引くほど叱られた記憶がある。私は叱られた意味がさっぱり分からなかったし、「可哀想でしょ!」ってなんで言うのかも分からなかった。
叔父さんの事を可哀想だなんて一度も思ったことがないからである。
叔父さんは毎日ペンギン歩きでお仕事に行って、帰ったらよく音楽を聴いていた。
よく内緒で小遣いをくれた。
私の父親は飲む・打つ・買うのろくでなしで、ほとんど家にいない風来坊であった。ある意味『酔いどれ詩人になるまえに』のチナスキーみたいな男だ。
そして
母親は、心身共に病弱な妹につきっきりであった。
別に私は不幸な子であったと言いたいわけではない。結構楽しく暮らしていた。
叔父さんになわとびの二重飛びができる事を自慢げに見せに行き、小遣いをもらって駄菓子屋に行く。
誰でももらえる硬筆検定6級の賞状を見せに行き、スーパーでアイスを買ってもらったり。
今思えば意地汚い子供だが、悪い事をしているなんて思ったこともない。
高校生になったくらいから、叔父さんの言ってることが分からなくなった。
子供の頃は何を言ってるかちゃんと分っていたのに。
多分遊びや部活やで忙しくて、分からなくなったのではなく、聞く耳を持たなかったのかもしれない。
今でも後悔している。
私はもうずいぶん大きくなった。子供も大きくなった。
叔父さんはもう歳を取ることはない。
私はもうすぐ叔父さんの歳を抜かしてしまう。
もしもあの世があったら、私の事がわかるだろうか。
謝ったらちゃんと許してくれるだろうか。
もし会えるなら一緒に音楽でも聴きたいな。
お休みなさいの曲。
ケニー・バレル『ソウル・ラメント』