あまりに残酷な、許しと救いの物語。映画『嘆きのピエタ』
私は無神論者であり、神を信じてはいないが、自分が救われる為には許すことが必要だと誰かが言っていた。
これは他人に限らず、自分で自分を許さなくては救われないらしい。
1本の映画がある。
キム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』(2012年韓国)である。日本で公開されたのは翌年2013年になる。
私はギドク映画が好きである。ギドク映画は、どの映画も心をえぐってくる。しかも一番痛い方法でえぐってくるのである。
中でも『嘆きのピエタ』は、とても好きな映画である。
低予算で作られ、原則スタッフキャストは興行成績の出来高払いであった為、ノーギャラだというのも驚きである。
面白い映画って、かかった金額とは関係ないのだなぁとつくづく思う。
このタイトルで使われているピエタとは、十字架から降ろされたイエスの亡骸を聖母マリアが抱いている絵や彫刻の事を言う。
この映画は、母の愛を知らない天涯孤独な男(ガンド)と、男の前に母親だと名乗り突然現れた女(ミソン)との物語である。
勿論、ギドク映画なだけあってミソンには思惑がある。
強烈なシーンの一つに「本当の母親なら食べられるはずだ」とガンドは自分の体の一部を切り取り、ミソンに食わせる。
そして、ガンドがミソンを母親だと認めた時から、母親への愛を爆発させるが如く、マザコンを発動させていく。
その様子は時に奇妙に映る。母と息子ではなく、まるで男と女のように。
終始痛々しい。体の痛みなら時間がたてば癒えるけれど、心の傷はいつまでも残り痛いままである。
ラストの赤い線は、考えただけでゾッとするが、贖罪の赤い線だと思うと、切なくなる
。
美しく残酷な愛の世界である。
ギドク監督は59歳と言う若さで亡くなってしまったため、もう新しい映画を観ることはできないと思うと残念である。
他にもギドク監督の『受取人不明』(2001年)という映画がある。
この映画は重たくて、私には受け止めきれなかった。
暗闇の中、一筋の光すら差し込んでもこない。
この映画も親子の関係が出てくるが、愛せないが愛さない事も出来ない気持ちが痛々しくももどかしい映画である。
愛せないならいっそとことん嫌えばいいが、それもできないのだ。
ギドク映画には家族(特に母親)や歪んだ愛、社会問題がテーマになっているものが多く、大体愛に飢えている人や、愛し方を知らない人たちが登場する。
そしてどれもしんどい。
砂浜に打ち上げられた魚の気持ちになる。要は息苦しいのだ。
好きなギドク映画はまだまだあるので、また綴っていきたい。
主人公は貴方で私『書を捨てよ町へ出よう』
学生の頃から寺山修司の詩や映像作品、舞台が好きだった。
寺山修司を知るまでは、私は超現実主義者で、可愛げのない(今もだが)憎たらしい子供であった。
目で見えるものしか信じないという視野の狭さと、想像力のなさ。
目で見えるものというより、都合良く見たいものだけ見て、見たくないものは見ないふりをしてきたのかもしれない。
正直寺山ワールドは、どちらかと言えば、目では見えない(または、意識的に見ようとしていない)部分が描かれている事が多い。
一冊の詩集が、私の何もかもをひっくり返した挙句、頭に一発食らわせてきたのだ。
その瞬間から、私の見ている世界の色が変わったと言っても過言ではない。
寺山修司の映画で『書を捨てよ町へ出よう』(1971年日本/監督:寺山修司)と言う映画がある。
私たちは普段映画を観ていても、映画の中で起こることを実体験しているわけではない。例えば1975年の、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』は、映画の中でサメが人を襲いまくる。しかしいくら人を襲っていても、画面からサメが出てくるわけでも、私たちが画面の中に入れるわけでもない。私たちは常に安全が約束された場所で『ジョーズ』を観ているのだ。人が食いちぎられる様は確かに恐ろしいが、実際私たちが食いちぎられる心配はない。
ただ、常に傍観者でいられると思ったら大間違いなのである。
この映画は、冒頭から一人の青年(観られる側)が私たちに(観ている側)を挑発しはじめる所からはじまる。
観ている方は面食らうのである。
急にスクリーンの中と外の距離が縮まる。境界が曖昧になる。
更に、青年は「俺の名前は・・・」を連呼する。俺の名前は・・・の後には観ている私たちの名前が当てはまるのではないだろうか。この物語の主人公は、私で貴方なのである。
主人公は(安全な場所で傍観者気取りの)私たちのいる(スクリーンの)外の世界に入り込もうとする。
そしてヒョロヒョロの頼りない主人公の青年は、妹が自分の先輩(がたいの良いサッカー部)たちに犯されても何もできない弱虫なのである。大切な人も守れず、おどけたフリをして、妹を笑わせようとする事しかできない。
劇中、コカ・コーラの瓶の中で飼われたトカゲが成長するが、「トカゲは大きくなっても瓶を割って出てくる力もないだろう!」と言うシーンがある。コカ・コーラは他国、トカゲは日本を現すメタファーなのである。
日本は戦後急成長を果たしても、所詮瓶の中のトカゲなのである。瓶を割って出れる筈なのに。
そう考えればサッカー部の男たちが何を現しているのか、おのずと想像がつく。
この物語の主人公は、私たち日本人なのである。
映画が終われば、白いスクリーンが残るだけである。しかし映画を観終わった私たちの物語は続いていく。
映画の中の人物たちはいつも同じところで笑い、泣く。永遠に歳を取ることもない。
でも、私たちはどうだろうか。私たちは歳を取り、いつか終わりを迎える。
私たちは、私たちの物語を生きる為に、時には書を捨て、町に出ることも必要なのである。
愛する映画や本は沢山ある。
気持ちが救われた事もある。
けれど、見た(観た)だけでは経験した事にはならない。
現に、心を病んで重い鬱病で入院中の母や、学生の時統合失調症で入院していた息子との日々は、心の病を扱った映画や本だけではわからない。私は支える側ではあるが、経験に勝るものなどないのである。
けれど、私は割とラッキーだと思っている。そう思えるまでは長い長い年月がかかったが、色んな事があったが、「とりあえず今日も死んでねー」からである。大好きなTheピーズの『脳ミソ』という曲の歌詞を引用したが、そういうことだ。
苦しい事があっても、とりあえず今日も私は生きてるし、愛する人たちが、生きていてくれるだけでいいや。
おやすみなさい。
改造人間!!改造・合体が招く、恐怖と爆笑の映画たち
改造人間と言うと、何を思い浮かべるだろう。
やはり人間を繋げる『ムカデ人間』だろうか・・。それともハエとの融合『ザ・フライ』であろうか。
私が最初に思い浮かべたのが、仮面ライダーである。
仮面ライダーは悪の秘密結社ショッカーによって、バッタの能力を持つ改造人間にされた男である。
しかし、仮面ライダーは改造が成功した良い例である。
正義の味方で人気者。しかもべらぼうに強い。
映画の中で、改造を施されたり、合体させられたり体を乗っ取られたりで、残念な結果になった人間もいる。
しかし私は、心底そういう悲しい人間が好きなのだ。
残念度が増すごとに、私のDVDコレクションも増えていき、ご主人様から苦い顔をされるのである。
残念な改造・合体・融合を果たした人間たちの映画は、総じて癖が強い。
だが好きだ!!元より弱くたっていい!!きもくなったっていい!!引くほど強くなったけど、完全に力の使い方を誤っていたっていい!!!兎に角好きなのである。
1本目は、恐怖の人体実験がうんだ悲しきモンスター
『悪魔の植物人間』(1973年アメリカ/監督:ジャック・カーディフ)
大学教授で科学者のノルター教授は、奇形の助手リンチの奇形を治すと、リンチをだまくらかし、リンチに学生を誘拐させては植物と人間を合体させる人体実験をしている。失敗したって大丈夫!失敗したら見世物小屋行きさ!という具合の映画である。
この映画のジャンルはホラーであるものの、助手で奇形のリンチの孤独や、蠅取草と合体させられて化け物と化しても友人を守ろうとするトニーの姿に、切なくなる。
一回合体すると、元には戻れぬ悲しさよ。
2本目は、醜く欲深い人間の成れの果て
はっちゃけた若い男女7人が、海で難破し辿り着いた無人島で食料と女をめぐり、本性むき出しまくるお話。その島には怪しげなキノコ(マタンゴ)がはえており、禁断のキノコと知りながらも手を出した人たちは、キノコ人間へ。
生き延びた男も精神病棟行きと、踏んだり蹴ったり。おまけに・・・。
極限に追い込まれた人間のエゴを描いているが、誰もが助かりたいのである。きっと私は真っ先にキノコ人間になるであろう。自身の、危なそうなものでも火さえ通せばだいたいいけると言う考えを改める必要があるなと、思っている。
3本目は、見た目に反して戦闘能力0の改造人間
『武器人間』(2013年オランダ・アメリカ/監督:リチャード・ラーフォースト)
予告の声、聞いたことないだろうか。そう、みんな大好き!初代ドラちゃん(大山のぶ代)の声である。まずこの映画、狂ったヴィクター博士の声は、初代スネ夫が務めている。他にも初代のび太やジャイアン、新シリーズのジャイアンやスネ夫の声優さんも声を努めている。それだけでも楽しめる。新旧ドラえもん声優大集合である。
更に中二病が考えたであろう、武器人間のフォルム。死体と機械の合体で強そうに見えるが、正直弱い。その上おっちょこちょいさんだから、自爆したりするので可哀そうに思えてくる。しかも動きも遅い・・・。このどん臭さが、滑稽を通り越して応援したくなる。
ただし、可愛い武器人間ちゃんたちに辿り着くまでの話が長い・・・。
4本目は、セイウチと人間の融合
『Mr.タスク』(2014年アメリカ/監督:ケヴィン・スミス)
人間をセイウチにしたい狂った老人ハワードと、性格の悪い主人公のウォレス。
ハワードの淹れた紅茶で意識を無くしたウォレスが目を覚ますと、あれ?片足が無くなってる・・・。慌てふためく中でハワードは「君は、セイウチになるんだ」と言い放つ・・・。ウォレスの運命はいかに・・・。
この映画に出てくる、ウォレスのさえない太った友人は、誰もが知っている『シックス・センス』のハーレイ・ジョエル・オスメント君である。いや、大人に成長したオスメントさんである。子役の時より大人になったオスメントさんの方が、味があって私は好きだ。
この映画の面白い所は、性格がク〇なウォレスも、狂人ハワードも、物語に登場する『キル・ビル』少年も、みんな憎めないキャラクターというか、可哀想な人たちなのである。
合体した姿が見たい人は是非。
5本目は、金属に浸蝕されゆく肉体
『鉄男』(1989年日本/監督:塚本晋也)
私は塚本監督の映画と、田口トモロヲが好きである。
なので、当然この映画も好きである。
変態と変体、金属に体を支配されてゆく男。
独特な動きや金属音、例の部分がまさかのドリル化。
大概の事は驚かない恋人も、えぐり殺されてさぞ驚いたであろう。
しかし、他の4作品に比べると、明らかに合体したことでパワーアップしている。が、暴走によりどえらい事に・・・。
更に、この『鉄男』の元となる映画が『普通サイズの怪人』(1986年)であるが、これも鉄男の原型とあって素晴らしくぶっ飛んでいて、非常に好きな作品である。勿論、田口トモロヲが主演である。
また、合体ではないが同じ塚本作品の『電柱小僧の冒険』(1995年)は、常に電柱を背負いし少年が、吸血鬼どもから世界を救うお話で、この作品にも田口トモロヲが出演している。
この3作品とも、田口トモロヲと監督自身が出演している。
私にとってはご褒美のような組み合わせである。
塚本作品は好きな作品が多いので、いつかブログに書こうと思う。
まだまだ書きたい作品があるが、また別の機会に。
(いい意味で)気持ちの悪い映画
小学生の頃、『魔夏少女』と言う、小川範子が主演の非常に気味の悪い2時間ドラマを見たことを鮮明に覚えている。実際放送された時間にはテレビは見せてもらえなかったので、ビデオで見たのか、録画で見たのか。
今のドラマでは考えられない様なスプラッタ描写もあり、子供だった私はそれはそれはビビり倒したのである。
1987年のドラマだが、役名も付かない気持ちの悪い男役で、永瀬正敏が出ていたのである。
このドラマのほんの少し前に、『ママはアイドル』というドラマに永瀬正敏は出ていて、私を胸キュンさせたのである。
魔夏少女に出ていた永瀬正敏は、永瀬正敏だとわからない程の不気味さであった。
前置きが長くなったが、気持ちの悪い映画というものがある。でもそれはいい意味での気持ちの悪さである。いい意味での気持ちの悪さって日本語がおかしいが、気持ち悪いのに魅かれてしまう映画である。
総じて石井隆監督の映画が、私にとっていい意味で気持ち悪い映画なのである。
特に1988年の『天使のはらわた 赤い淫画』(池田敏春監督・石井隆脚本)は、ドラマチックで哀愁が漂っており、最高に好きで気持ち悪い映画である。
また、石井隆脚本・監督の『ヌードの夜』や『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』などは、何とも言えない独特の気持ちの悪さと、切なさがある。
そんな中でも、いい意味で気持ちが悪くて好きな映画について、綴って行こうと思う。
ただしあくまでも私の感覚であり、少なからず女性(ばばあ)目線で観ているので、「えっ?」と思う人も多いだろうが、悪しからず。
まず一本目は1992年、石井隆監督・脚本の『死んでもいい』
永瀬正敏だから許される、人妻に恋した男の破滅的な気持ちの悪さ。若さゆえの暴走はとまらん。(そしてそんな永瀬正敏がたまらん)更に、人妻の名美役の大竹しのぶも、負けず劣らず気持ちが悪い女なのである。じめっとして湿気たような、ねばりつく汗の様なそんな気持ちの悪さと同時に、人間のどうしようもなさが良い感じで描かれていて、大好きな映画である。
続いて二本目は1988年、高橋伴明監督の『DOOR』
スプラッターが苦手な人は、↓の予告編は飛ばして下さい。
つい少し前に、デジタルリマスター版をリバイバル上映したと、ネットで見たが、私がこの映画を観たのは、テレビのロードショーか何かである。
開始すぐに、観てはいけないものだと直感した。子供の第六感が危険を感知していたのである。
しかし、好奇心旺盛な私は、今テレビでは絶対流せないであろうスプラッター描写までしっかりと観た。
当時はストーカーという言葉がなく、人妻を狙うセールスマン(演:堤大二郎)の変態っぷりには度肝を抜かれた。そして監督の妻で、靖子役の高橋惠子が美しく、強すぎるものだからそこにも度肝を抜かれたのである。
なにより気持ちが悪いのが、変態セールスマンと靖子の相談にのる警察官・管理人・電話の男、全て同じ声であること。
実際は別人であるのに声は同じである、この上ない気持ちの悪さ。
セールスマンは当初は感じの良い男であり、彼はある一点においては被害者だと言ってもいい。そしてもしあの段階で、靖子が心からの謝罪を行っていたら、男は被害者から加害者にはならなかったのである。
こうした人間ドラマがしっかりと描かれつつも、ずっと不穏な空気が続き悲劇的なラストへと向かっていく。
興味のある人は是非観て、独特の気持ち悪さを体験してほしい。
教育の恐ろしさ。狂気の家族愛『籠の中の乙女』
箱入り娘という言葉がある。
この映画は、家と言う箱に入れられた娘・息子の物語なのだ。
親は子供を守り、愛情いっぱいに育てていく(のが望ましい)
愛情とは狂気を孕んでいるものである。
最近よく耳にする毒親や親ガチャという言葉。
子供は親を選べない。
産まれてから色んなことを最初に教わるのは親からである。
自分では当たり前だと思っている事が、他人からすれば異常である場合も考えられる。
この家族は異常だが、親は別に子供たちに愛情がないわけでも、娘たちを苦しめたいわけでもないから余計にたちが悪い。
『籠の中の乙女』は、2009年製作・2012年上映のギリシャの映画である。
監督・脚本が『聖なる鹿殺し』や『ロブスター』のヨルゴス・ランティモス監督であることから、何だか嫌な予感しかしない人も多いであろう。
それは、ミヒャエル・ハネケ監督の映画と聞くと何だか嫌な予感しかしないのと同じである。(ハネケは好きな監督ではある)
ハネケ監督の『ハッピーエンド』と言う映画があるが、数年前に友人からハネケ監督の新作が『ハッピーエンド』と言うタイトルだと教えてもらった時、ハッピーな感じが一切しない予感がした時と同じ感覚である。
実際は、あのラストをハッピーととるか否かは、観ている人によって違うのだろうが、あのラストしかないと私は思っている。
話はそれたが、ホラー映画の様な怖さではないが、終始不穏で不快。(誉め言葉)
怖いと言うか、気味が悪いのである。(誉め言葉)
親は、外の世界は尋常じゃなく危険だと、息子や二人の娘に教えて外には一切出さず育てている。(富裕層なので何の苦労もない)
この家族のルールも怖いし、子供と言うにはあまりに歳をとった子供たちの世間知らず具合も気持ちが悪い。
兎に角、子供は健全に安全に育ってほしい。その気持ちはわかる。
けれど、この映画は愛情を通り越して狂気でしかないのだ。
それにしても、「ロッキー」「ジョーズ」「フラッシュダンス」を観ただけであんなことに
・・・。
そしてあの奇妙なダンス・・・。
ダンスを見て鳥肌が立つほど気持ちが悪かったのは、この映画が初めてである。
残念ながら、18歳未満は観れない。
興味がある人は・・・是非。
- 価格: 3344 円
- 楽天で詳細を見る
地味だけど、じわる映画①『ウィスキー』
- 価格: 6862 円
- 楽天で詳細を見る
写真を撮る時、「はい、チーズ」という私。
そもそもなんでチーズなんだろう。
実はこれ、英語圏で使われていたらしく「Say cheese(チーズと言って)」が由来らしい。
「チー」の発音の時、顔が笑顔になるからみたいである。
ところで南米では写真を撮る時「ウィスキー」と言うらしい。
お酒のことではなく、写真を撮る時の掛け声が、映画のタイトルになっている映画がある。
『ウィスキー』(2004年/ウルグアイ・アルゼンチン・ドイツ・スペイン/監督:フアン・パブロ・レベージャ パブロ・ストール)
ウルグアイで靴下工場を営む初老の男ハコボと、ハコボの工場で長い間働く中年女性マルタ。
長い年月一緒に働いているにも拘らず、二人は必要最低限の会話しかしないのである。
そんな中、ハコボと疎遠になっていた弟エルマンが故郷に帰ることになり、ハコボはマルタに妻のふりをすることを頼む・・・。
堅物で頑固、寡黙なハコボと社交的で明るい弟のエルマン。
兄弟のぎこちない感じが面白い。
そしてハコボの事がまんざらでもないマルタだが、ハコボはマルタと距離を縮めることもない。
父が残した寂れた工場を継ぎ、年老いた母親の面倒を見ている内向的な独身の兄と、家をでて、他の国で自由に暮らし、仕事もうまくいっている明るい弟。
対照的な二人。
自由気ままな弟が嫌いな兄。
コミカルでありながらもちょっぴり切ない。
派手さはなく、大きな事件も起こらない。
しかしそこが良い。
それにしても、ハコボが独身なのは見た目がイマイチだとか、寡黙すぎるとかじゃないのよ。
優しさなのよ。
優しさが足らないのよ。
この映画は、東京国際映画祭でグランプリ、カンヌ国際映画祭批評家連盟賞などを受賞し、監督のファン・パブロ・レベージャの活躍に期待されていたが、2006年に自死している。
この映画が凄く良かったので、とても残念である。
興味がある人は是非
下品で最高なイカレ映画『チレラマ CHILLERAMA』
私は、クダラナイと言われるものに愛着がわく。
勿論、この世には人の心を動かす素晴らしい作品は沢山ある。
この手の映画を観ていると、ご主人様に必ず「またクダラナイものを観てるね」と言われるが、それってあなたの意見ですよね?クダルかクダラナイかは、私が決める事だ。
まぁ、ご紹介する映画『チレラマ CHILLERAMA』(2011年製作・アメリカ/監督:アダム・リフキン ティム・サリヴァン ジョー・リンチ アダム・グリーン)
チレラマは、クダラナイよ。下品やし。
でも爆笑できるって大事よ。
エロ・グロ・ナンセンスは、バーガーとポテトとコーヒーのセット位大事よ。
さて、内容はと言えば・・・。
閉館となるドライブインシアターで、最後の映画が上映されるという設定だけど、タイトルが『精子怪獣ワジラ』『ヤングクマ男の絶叫』『アンネ・フランケンシュタインの日記』『大便がいっぱい』である。
タイトルからZ級映画の匂いがプンプンである。
そしてドライブインシアターが、ゾンビだらけになる『ZOM-B-MOVIE』へと繋がって行く。
ここでは書かないが、産まれた時から今までずっとトラブルや不幸続きの人生である。
きっと私は前世で相当な「おいた」をしたのであろう。
でも無事子供も大きくなったし、大病をしたもののご主人様の命は助かった。
意外と良い人生なのかも。
落ち込んだとき、励ましてくれたり背中を押してくれる映画は確かに良い。
が、私はくだらないおバカ映画を観て、ガハガハ笑っていたいのだ。
運命とやらに負けている暇などないのだ。
だってまだ観ぬ、素晴らしい作品に出会えるかもしれないのだから。
今日も無事1日が終えられたことに感謝。
- 価格: 3920 円
- 楽天で詳細を見る