読むと後悔する漫画『座敷女』観ると後悔する『屋敷女』
世の中には沢山の鬱漫画がある。
山野一の漫画『四丁目の夕日』は有名な鬱漫画であるが、人は何故気分が落ち込むのにわざわざ鬱漫画を読むのだろうか。
幸災楽禍(こうさいらくか)という四字熟語がある。
読んで字のごとく他人の不幸を喜ぶことである。要は「他人の不幸は蜜の味」という事である。
けれど、読むと確実に後悔する漫画もある。
私の中でトラウマになっている漫画が望月峯太郎の、『座敷女』(1993年から週刊ヤングマガジンにて連載・同年7月に単行本発行)である。
望月峯太郎と言えば、有名なのが映画化された『バタアシ金魚』『サメ肌男と桃尻女』『ドラゴン・ヘッド』であろう。
『座敷女』は、胃がキューっとなるのだ。
お化けが出てくるようなホラー漫画がかわいく思えるほどの、心理的恐怖を味わえる。
何が怖いってストーカー女の正体がわからない所である。
この漫画は、友人が持っておくのが怖いと言って私の家に持ってきて、わざと置いて帰ったのを、後で見た私はあまりの怖さに違う友人の家に置いて帰った。もし、友人がまた別の友人宅へ、またその友人が別の友人に・・・と続いていくうちにいずれまた手元に戻ってきたら、恐ろしさで失禁間違いなしである。
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続いてグロ過ぎる、地獄過ぎると恐れられている映画『屋敷女』(日本公開は2008年/フランス/監督:ジュリアン・モーリー アレクサンドル・バスティロ)
これは、あまりのグロさにいくつかの国では修正や一部のシーンがカットされ、もちろん日本も2008年の劇場公開では一部修正された。しかし無修正版が、2021年に公開された。
スプラッターは得意ではないけれど、作り物だもの・・なんて軽い気持ちで観ると100%後悔する。
個人的に映画『ベティ・ブルー』のベティ役であったベアトリス・ダルは大好きな女優さんであるが、嫌いになりそうなくらい怖い。
胃がキューどころが、口から出ちゃいそうなほどの恐怖と残酷描写。
救いがあるとすれば日本のキャッチコピーが『この女、凶暴につき』である。
言わずと知れた、1989年の北野武の初監督作品『その男、凶暴につき』が元ネタである。
↓予告は観れる人だけどうぞ。
見るも後悔、観ないも後悔。
あなたならどうする?
思い出すと怖くなるので、映画『リザとキツネと恋する死者たち』(2014年製作・2015年公開/ハンガリー/監督:カーロイ・ウッイ・メーサーロシュ)から、怖くない悪霊トニー谷の曲をお休み前に。
容赦のない悪女『蜘蛛女』
私は悪女が好きだ。
映画の中に登場する、貪欲で容赦がない悪女が特に好きだ。
人はいい子でいたがる。というか、いい子に見られたいがばかりにいい子のふりをする。
そんな中、もう悪っぷりを存分に、思うがまま魅せてくれる悪女がたまらないのだ。
私は悪女に憧れを抱きつつも、ちんけな小悪党どまりの女である。
そんな小者の私が、数ある映画の中の悪女で、特に好きなのが、
『蜘蛛女』(1993年/アメリカ/監督:ピーター・メダック)
この映画に出てくるモナ(レナ・オリン)の独特な声と笑い方にゾクっとくる。
下品でセクシー。この悪女に破滅させられる優男がゲイリー・オールドマンなのだが、ダメ男っぷりは超はまり役なのだ。
手錠をされても、足で卍固めをかまし、パンツ丸出しのガニ股走りでポリスから逃げるモナは、もう下品を通り越してカッコいいのである。
あゝ悪女になれたら・・・自分に正直に生きられたら、どんなにいいだろう。
ところで、ふと邦画で悪女を思い浮かべたら、『黒い家』(1999年/日本/監督:森田芳光)の菰田幸子(演:大竹しのぶ)を思い出してしまい、身震いした。こっちの悪女は本当に怖い。世の中にこの女の様な人間がいると思いたくはないが、実際には保険金殺人はよく聞く話で、どこかでこういった悪女は、普通に暮らしているのであろ
そう言えば『氷の微笑』(1992年/アメリカ/監督:ポール・ヴァーホーヴェン)のキャサリン・トラメル(演:シャロン・ストーン)なんて、もう防ぎようがないと言うか、男性はお手上げなのでしょうな。(女性もでしょうが)
イキながら逝けるなんて、ある意味幸せかもよ。
さて、下ネタも大概にして、悪女と言うと思い浮かぶPVを、お休みの一曲に。
Thee Attacks『Stab』
悪女にはお気をつけあそばせ。
生きる全ての人に。 映画『エンドレス・ポエトリー』
昔何かで見たのだが、泣くと言う行為はストレス解消に役立つので、泣ける映画やドラマを観るのは精神的にも良いとかなんとか・・・。
泣ける映画と言うと、何を思い浮かべるだろうか。
そもそも「泣く」という行為自体は同じでも、悲しくて泣く、嬉しくて泣く、感動して泣く、怖くて泣く、怒って泣く、爆笑で泣くなど内容は様々だ。
私はある映画で号泣した。
何故号泣したのかと言うと、魂が解放された気分がしたからである。
大袈裟と言われるかもだが、映画を観ている間、私はとても自由だった。
全く同じ人間は存在しないように、感じ方も千差万別なので、何も感じない人もいると思う。
前置きが長くなったが、私が号泣したのは『エンドレス・ポエトリー』である。
日本では2017年に上映された、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画である。
私は、ホドロフスキー監督の映画がとても好きなのだが、特に『エンドレス・ポエトリー』は、観ていると自分を全肯定してくれるような、全ての事から許されたような、解き放たれたような気持になる。
何処までも自由で、生と死さえも超越した世界に、ハッと息をのんだのだ。
美しさの中にも、毒々しさと生々しさがあり、光と影、美と醜、善と悪は対照的であって実は同じなのかもしれないと錯覚してしまうほどに全てを包み込む。
それは全てを包む完全な光に思える。
生と性、死と詩、親と子、愛と哀。詩を文字ではなく映像で読んでいる気分なのだ。
ホドロフスキー監督の自伝的映画としている本作は、前作では少年期のホドロフスキーを描いた『リアリティのダンス』(2014年)から青年期になったホドロフスキーを描いている。
リアリティのダンスがホドロフスキーの問いであるならその回答が『エンドレス・ポエトリー』のように思う。
そしてホドロフスキーの人生に、現在のホドロフスキーが介入し、ある事実(歴史)を書き換えるシーンがある。これはホドロフスキーが欲しかった過去なのかもしれない。
寺山修司の言葉に「ひとはだれでも実際起こらなかったことも歴史のうちであり、〈過去〉だけでは真実を解きあかすことができない」というのがある。ホドロフスキーは本作で、嘗て叶わなかった父との和解を果たすのである。
人は、後悔をする。しかし過去に戻ることは不可能なのである。
もし映画のように、過去に戻って自分に助言できるならしたい。
でもできないから、自分や相手を責め続けたり、自分のした選択に悔んだりする。
けれどこの映画は、生きている全ての人を肯定する。
後悔を抱える人も、悩みもがき苦しむ人も。
「私は、何があってもあなたを全肯定し続けます」と言われたらどうだろうか。
それを自分に対して言ってくれる人がいるとしたら、それは自分自身なのである。
自分が自分を肯定する、自分が自分を許すことで、後悔や苦しみから解放されていくような気もする。
ホドロフスキーの映画は、いつも刺激をあたえてくれる。
それと同時に、私の心をすくいあげてくれるのだ。
お休みの一曲をあなたと私に。
サニーデイ・サービス『愛し合い 感じ合い 眠り合う』
映画好きな先輩と、映画『空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜』
以前職場に、映画好きな先輩がいた。
職場であまり接点はなかったが、どこからか私が映画好きだと知って話しかけてきたのが始まりだ。
正直、ほとんど話したこともないのに、私にぐいぐい話しかけて来る人は滅多にいない。
とっつきにくいランキング堂々の1位だからである。あくまで他人からの評価がこれで、自分自身は話しかけてほしいのである。自分から話しに行くのは、シャイさが邪魔をしてしまい、できないのだ。
なのに、不機嫌そう・気だるそう・何考えてるかわからない・・・などと言われがちなのである。もうこれ悪口である。
私には、貞子か加耶子を凌駕するアンニュイさがあるのかもしれない。
個人的には、私は原田知世にドルフ・ラングレンを足し、原田知世を引いたような可憐な乙女である。
話は戻るが、先輩と映画が好きだと言う共通点があっても、好みの映画は互いに違うのである。
例えば先輩は私に、とあるシリーズの映画を最高に面白い作品として、DVDを貸してくれていた。しかし人間の一日はもれなく24時間である。私だけ30時間あるのなら観るが、限られた時間の中で観たい映画は他にも沢山あるのだ。
しかし先輩は、自信満々で手渡してくる。なんならこの映画観てないなんて人生損してると言いたげである。
同僚であれば笑顔で断れるが、先輩であるゆえ、断り切れない。
渋々観たが、面白いと言えば面白い。しかし先輩のDVD押し貸しが続くと思うと、少し憂鬱なので、先輩のやっている事を理解してもらう為にも、私もコレクションの中からとあるシリーズを貸し出す事にしたのだ。
『悪魔の毒々モンスター』シリーズである。特に新世紀絶叫バトルをお勧めした。
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しかし貸した数十秒後に返却された。
「観てもないのに返却するなんてけしからんですよ」とお伝えしたが、「どうも好みが合わないね」と言われてしまった。
食わず嫌いって事もある。現に先輩が貸してくれた映画は、貸してくれなきゃ一生観なかっただろう。でも観ると楽しかった。
その後先輩は、粘着質な同僚とひと悶着あって仕事を辞めた。
そして病んでしまい、仲良くしていた人たちとも付き合いがないと聞いた。
先輩とはことごとく映画の好みが合わなかった。
でも好きな映画の話をしている時は、妙に可愛いというか何だかいいなぁ、素敵な人やなぁって思った。
先輩は誰に対してもいつも同じように接してくれる。社交的ランキングがあれば、上位にランキングされる人である。
性格は違ったが割と好きだった。
先輩は漫画家、永井豪が好きだと言ってた事は何となく覚えている。
だからきっと『空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜』(1990年/日本/監督:永井豪)は、観ている筈である。
ドス竜の話したかったなぁ~。
中々観ている人に巡り合わないから、お酒でも酌み交わしながら・・・。
職場では、「うちの旦那がさぁ~(悪口)」とか「○○さんてさぁ~(噂か悪口)」ってな話ばかりだ。
人の悪口はその時は楽しいのかもしれないが、言っても聞いても確実に自分の中の何かが傷ついたり、削り取られる様な嫌~な気持ちになる。
そんな話より「ドス竜のオーケン(大槻ケンヂ)良いよね~」とガハガハ笑いながら話したいのだ。
ちなみに当時大人気だった女子プロレスラーの、キューティー鈴木も出演しているが、可愛くて強いって最強だわ。
先輩を思い浮かべる夜。
可愛くてあなたによく似合う曲。
生きてれば、またきっと会える。
忙しい人の為の、癖の強いショートフィルムの世界
ショートフィルムは良い。
何が良いって短いから時間がない時でも観ることができる。
家事や育児に追われて、忙しいママも10分もない短編であれば、何かの合間に観ることができる。
仕事が忙しい人も、勉強中の学生も、休憩がてら一本観られる。
ホッコリする様な素敵なショートフィルムは数あれど、ホッコリなんてさせてなるものかと、癖の強いショートフィルムについて綴っていこうと思う。
ほとんどが、YouTubeやニコニコ動画などで観る事ができるので、興味がある人は是非。
●『ハーピア』(1979年/ベルギー/9分 監督:ラウル・セルヴェ)
しょっぱなから物々しい雰囲気から始まり、映像や音共に相当気持ち悪い。
音はなんと表現すればいいのか、ニギィニギィみたいな奇妙な音である。
更に気持ち悪いのは、鳥の姿をした鳥人である。笑い飯のネタに鳥人というのがあったが、ネタの中の鳥人の様な紳士ではない。だいぶ気持ち悪い鳥人登場である。
悪夢の無限ループにはまり込み、観ているだけで眩暈がしてくる。
まさか!!のオチにみんな釘付けになること間違いなしである。
是非ともあの気持ちの悪さを体感してほしい。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★★
面白さ★★★★★
(★はあくまで個人の感想です)
●『フード』(1993年/チェコ/14分 監督:ヤン・シュヴァンクマイエル)
個人的に大好きな監督である。
フードは食事をテーマに3部作(breakfast lunch dinner)になっている。
シュヴァンクマイエルは、食べるという行為に嫌悪感があるのかと思うくらい、食事の描き方が残酷で気持ち悪い。そこがグッとくる。
シュールかつブラックな笑いが好きな人は是非。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★☆
面白さ★★★★★
●『わからないブタ』(2010年/日本/10分 監督:和田淳)
癖になる映画ってこういうことをいうのかぁってなほどに、癖になるショートムービーである。
わからないブタというだけあって、内容もわからない。
兎に角シュール。
ハマる→困る→何度も見てしまうの繰り返し。和田作品は他にもあるが、どれも総じて癖強である。
これみると、口紅塗った後「ンッパッ!」ってしたくなる。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★☆
面白さ★★★★★
●『ゴム頭の男』(1901年/フランス/3分 監督:ジョルジュ・メリエス)
トリック映画を作り、魔術師と言われていたのも頷ける。今はGGなどを使えば簡単に不思議な映像が撮れるだろうが、当時観た人は度肝を抜かれたのではないだろうか。
サーカスを見ているようなワクワク感がある作品である。
空気を入れられて、膨らむ頭だけの男が面白い。滑稽だけどちょっと切ない気持ちになるショートムービーである。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★☆
面白さ★★★★★
●『普通サイズの怪人』(1986年/日本/18分 監督:塚本晋也)
塚本監督の『鉄男』の原型と言われた作品で、勿論主役は『鉄男』と同じ田口トモロヲである。監督の塚本晋也も、『鉄男』同様出演している。
狂った世界観と、癖の強さ・・・大好きな作品であるが、とあるシュールすぎるシーンには、目が釘付けに。
ドリルが・・・。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★★
面白さ★★★★★
●『失われた朝食』(2015年/日本/7分 監督:キューライス)
繰り返すいつもの日常が、あるちょっとしたことで、狂っていく。
癖になる独特なタッチのアニメーションで描かれる世界が、中毒になる。
癖の強さ★★★★☆
気味の悪さ★★★☆☆
面白さ★★★★★
●『ファントム=幻妄』(1975年/日本/10分 監督:松本俊夫)
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松本監督と言えば、夢野久作原作の映画『ドグラ・マグラ』の監督である。
多くの実験映画を撮っており、どれも古い作品とは思えない斬新さがある。
美しさの中に潜む、毒々しさや生々しさがあり、白昼夢を見た気分になる。
観終わった後、何とも言えない気持ちになる。
癖の強さ★★★★☆
気味の悪さ★★★☆☆
面白さ★★★★★
●『疱瘡譚』(1975年/日本/20分 監督:寺山修司)
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寺山修司の実験映画は、この作品以外にも数多くある。
寺山修司の作品(詩やエッセイ、演劇なども含めて)どれも、強烈な寺山の死生観を感じさせる。
寺山修司は個人的に、最も愛する作家でもある。
一度ハマってしまうと抜け出せなくなる魅力がある.。
独創的な、味わったことのない刺激的な世界に飛び込みたい人は、是非。
癖の強さ★★★★★
気味の悪さ★★★★★
面白さ★★★★★
★は、あくまで個人の感想である。
寺山修司の映画エッセイ本に、『さかさま映画論 地球をしばらく止めてくれ ぼくはゆっくり映画を観たい』と言うのがある。
日々忙しさに追われ、ゆっくり映画が観れない人でも、ショートフィルムをゆっくり見る時間はきっと作れる筈である。
たまには一休みして、ショートフィルムでもいかが?
母を探して珍道中。好み過ぎる映画『不思議の世界絵図』
はてさて、私は母を探している。
行方不明って訳ではない。母はずっと心の病で、自分を取り戻す為に入院中である。
今の母は母にして母にあらず。
いや、むしろ今の母が本当の母かもしれない。
ともあれ人間とは不思議な生き物である。
母を探すと言えば、映画『不思議の世界絵図』という映画があるが、この映画は、1997年のスロバキアの映画で、監督はマルティン・シュリークである。
マルティン・シュリークの作品で『ガーデン』という映画がある。これも私の心を掴んで離さない映画である。
『不思議の世界絵図』の主人公のテレスカは、中性的で息を呑むほど美しい少女である。そして人懐っこい幼さの中にも、どこか色気がある。
寄宿舎を追い出され、ざっくりし過ぎている地図を頼りに母を探す旅に出るのだが、出会う人全て変なのである。不思議ちゃんを通り越して、癖の強い人たちばかりなのである。
けれど彼女はいつだって動じる事もなく、相手の懐に入る。
ここが彼女の魅力である。彼女は次々に出会う奇妙な人達の表面上(目で見たり耳で聞いたりする範囲)の奇妙さなどどうでもいいのだ。彼女はいつでも、だれに対しても彼女のままである。
テレスカは少年の様な少女のような純粋さと可憐さを持ち、明るく爽やかな人物だが、たまに大胆な言動をしたり、女の顔を覗かせたりとチグハグで掴みどころがない部分がある。そこが素晴らしい。
ファンタジーというより、ブラックユーモア的な要素が強い映画である。
テレスカはきっとまだ旅を続けているのだろう。
道はずーと続いている。
私の母も私も、人生と言う名の旅はまだまだ続く。
いつか母の行く道と、私の行く道が繋がって、また笑い合える日が来るといいなと思っている。
お休みなさい。
夏になると聴きたくなる曲
随分暑くなってきた。
寝苦しい夏の夜に、窓を開けると夜風が入ってくる。
私の住む住宅街は年配の方が多く、真夜中に明かりが灯っている家がない。
真っ暗闇が広がる中、妙に明るい街灯だけが、辺りをはっきりと映し出す。
音もなく静まり返って、我が愛犬2匹もご主人様も寝息を立てている。
皆を起こさないように、ヘッドフォンで音楽を聴く。
夏になるたびに聴きたくなる曲がある。
七尾旅人の『サーカスナイト』である。
2012年の曲だから、10年以上前の曲になる。
これを聞くと、心が穏やかになる気がする。
七尾旅人『サーカスナイト』
もう一曲は
CACTUS CHANNEL&SAM CROMAK『Everything Is Right in Front of Me』
何故だかわからないけれど、この曲を始めて耳にした時、何だか懐かしいようなノスタルジックな気持ちになった。
寝付けない夜によく聴いている。
大体真夜中って、ろくなことを考えない。
不安になったり、良くない事を考えがちなのである。
一日の終わりに、今日の失敗を後悔しても(反省はサル並みにするが)過去には戻れないし、明日が不安でも、私たちは一秒先の未来ですら知ることができないのだから、不安に思っても仕方がない。
一日の終わりには、好きな音楽や映画、本を読んで(または仕事に追われて半泣きで)過ごす。兎に角、心穏やかになるならなんだって構わない。
今日も愛する人たちが、アホみたいな顔して幸せそうに眠っていたらいいなぁとおもっている。
お休みなさい。